デーブが経験した長嶋監督との笑える思い出!

みんな大好き長嶋監督
長嶋監督のモノマネしちゃいます!

こんにちは、デーブ大久保です!

今回は長嶋監督との裏話、

出会いについてお話していこうと思います!

根本の親父や藤田監督・・やっぱり監督との出会いっていうのは大きくて。

伝説中の伝説の長嶋監督と出会えたこと、もの凄い大きかったなぁ・・と思います。

ぶーちゃんぶーちゃん、と可愛がってもらえて色々なエピソードがありますが、

まずは、長嶋監督と巨人軍で出会う前の、準備段階ともなるお話。

僕はライオンズの時、19歳でアメリカの教育リーグに行かせてもらっていたんです。

その時、ヒューストンアストロズっていうチームに入っていて、ジャイアンツの二軍がポンってアメリカに来て、試合をすることになったんだよね。

アストロンズも選手を育てないといけないから、相手がメジャーのチームだと僕らはあまり出番がないんだけど、

ジャイアンツ二軍と試合の時はフルイニングでだしてもらえるんです。

1年アメリカでプレーすると英語だって覚えるし、デッドボールがあたればベンチは爆笑で「マザー○○○○!」なんて放送禁止用語言っちゃったり、

構えもメジャーリーガーっぽくなっちゃって(笑)やっぱり感化されていくんですよね。

デッドボールあたった試合の後、

当時の巨人二軍監督で鬼軍曹と呼ばれた須藤監督がきて、

「お前自分の言った英語の意味わかっとんのか、日本人なめとんのか!?」って結構怒られて、

僕も「日本人が日本人なめるわけないでしょうが!」って言い返したりして、まあそのまま終わっちゃったんですよ(笑)

それから何年かたって巨人移籍したときに、〘長嶋政権~須藤ヘッド入閣~〙ってネットにでたときはもう・・・(笑)

それを知った日に試合後ロッカーに帰ったら、正面に須藤監督がドーンといて、「おう大久保、お前がアメリカで言ったこと忘れへんぞ」って、

また二軍かぁ・・・って思ったときが長嶋政権のスタートですね(笑)

しかもその年のスローガンがスピード&チャージ、あぁ僕ダブルで終わったなあって。

でもその時監督が初めて声をかけてくれて、『いいか、ぶーちゃん。自分の出来る全力でやればいいんだよ。それがスピード&チャージだ』って。

そう声をかけてもらえたからそんな環境でも、よっしゃ、チャンスきた!って思えましたね。

しかも僕は、長嶋監督のバッティングに憧れていて真似をしていたんですよね。

ホテルの監督の部屋までいってバッティングを教わったこともありました。

監督の部屋の階のエレベーターおりたら、まずは帽子が落ちていて、ユニフォームの上着、ベルト、ズボン・・・って部屋にたどり着いちゃいました(笑)

バッティング教えて下さい!って言ったら、バットもってきてブンッブンッ『どうだぁ~僕のスウィングはいいだろぉ~おつかれさん!』って(笑)

僕が現役辞めるときも、『ぶーちゃん、どうするんだぁ~?ひとりでやったほうがいいぞぉ~』って言ってくれて、

最後に絵も一枚くれたんですよね『好きなのもっていきなさぁ~い』って。後で聞いた話によると安くて3,4千万、高いと億だってはなし。

こういう方ってもうでてこないんだろうな、凄い器の方だなと明確に感じられた引退報告でもあります。

その後、僕は自分の会社を作ろうって思った時、会社名を監督に相談したんです。

そうしたら翌日留守番電話がはいってて『デーブカンパニーはどうだぁ~』って、それが今の僕の会社のはじまりでもあるんです。

そんな監督の力にも支えられて、こんな時期でもあるけど、まだ会社が続けられてるんだなと思います。

まだまだ沢山の監督との裏話がありますが、今日はここまでにします!

詳しくは、〘デーブ大久保チャンネル〙へ!

〘デーブ大久保チャンネル〙を記事化したものです。

動画はこちらをご覧下さい。

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